今日は母のお通夜。
朝から湯灌、午後から式。線香の匂いをまとったままで、夜になって、ようやく一息ついた。
そのまま、家族で和食さとへ。
お通夜のあとに外食。普段の私からしたら、なかなか珍しい選択。兄も帰って何か作るとかよりも食べにいった方が気分も落ち着くだろうと思うし。一人で夜の時間を過ごすよりも私たち家族で同じ食卓を囲みたかった。
鍋を囲むという、それだけのこと
注文したのは、辛そうな赤いスープの鍋。牛ホルモンと野菜がたっぷり、〆用に中華麺と卵もついてくる、賑やかな一品。
子供達は刺身盛り合わせセットだったり天ぷら定食だったりも頼んで、テーブルの真ん中にどんとカセットコンロを置いて、食べた。
鍋っていいな、と思う。
それぞれが好きなものを注文して食べて。私はぐつぐつ煮えていく音を聞いて、湯気を見て。会話が弾むわけじゃないけど、沈黙が気にならない。鍋がぜんぶ間を埋めてくれる。汗をかいてスッキリしたかったのもあるしね。七味をたくさんかけて食べるのが私流。
今日はそういう日に、ちょうどよかった。
言葉にしないことの、安心感
葬儀の夜って、何を話せばいいのか分からなくなる。
「お疲れさま」も違うし、「大丈夫?」も違う。みんなそれぞれに思うところがあって、でもそれを全部言葉にしようとすると、なんだか軽くなりすぎる気がしてしまう。
だから、鍋を箸でつつきながら、麺を啜って。
暑い暑い言いながら食べて。みんなとは式の話とかは全然しなくて、普段の会話を楽しんでいたし。それでいいと思った。
家族って、こういうときに本当にありがたい。
和食さとの安心感
お店は和食さと。チェーンのファミレスだけど、こういう日にはちょうどいい。
肩肘張らずに入れて、メニューが豊富で、個室っぽい席もあって、子どもから高齢者までみんなが食べられるものがある。気を遣わずに、家族でゆっくり食べられる。
特別な日に、特別なお店に行かなくてもいい。今日みたいな日は、むしろ普段使いできる場所のほうがありがたかった。
食べることは、生きること
葬儀のあとにごはんを食べると、なんとなく罪悪感みたいなものを覚える人もいるかもしれない。
でも、母も「食べないとあかんよ」が口癖の人だった。だから今日は、ちゃんと食べた。
明日は本番のお葬式。母を出棺して骨を拾って。その時には涙が出るのだろうか。まだ堪えれるのか。明日の自分に委ねるとして本日は早めに眠ろうとおもう。
親孝行したい時には本人がいないのはもう耳タコで聞いてたのに。やっぱり理解までできてなかったみたいです。
月曜からいつもの食卓に戻る。玄米にバーリーMAX、副菜たっぷりの定食。母にも、見守ってもらえてるといいな。
今日は、ありがとう、おかあさん。
明日からも、ちゃんと食べていきます。

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